第2章

彼と俺は、小学校の一年から同じクラスだった。

家も近かった。彼の家は、東中野の駅から商店街を抜けた先にあった。大きな家だった。表札の横に、父親の会社の名前が書かれた小さな看板が出ていた。俺の家は、その二本先の路地を入った所にある、普通の家だった。父はサラリーマンで、母は近所の店にパートに行っていた。

彼の父親は、忙しい人だった。

新宿の方で汁粉屋から始めて、映画館を持ち、パチンコ屋を持ち、喫茶店や飲み屋まで広げた人だと、近所の大人たちが話していた。子供の俺には、その規模はよく分からなかった。分かるのは、商店街を歩くと、彼の父親の店がいくつもある、ということだけだった。映画館の看板。パチンコ屋の旗。喫茶店のガラスに書かれた店名。歩くたびに、彼の名字を見た。

彼と知り合った最初の記憶は、入学式の日のことだ。

同じ組になって、廊下で並んだ時、彼が言った。「お前の家、どこ」。俺が路地の名前を言うと、彼は「ああ、あそこか」と頷いた。商店街の地理が、彼の頭には全部入っていた。俺はその時から、彼が「この街の子」だということを知った。俺はこの街に住んでいるだけだった。彼はこの街で、育てられている最中だった。その違いは、最初からあった。

初めて彼の家で夕飯をごちそうになったのは、小学二年の冬だったと思う。

遊びの帰り、雨が降ってきた。俺は彼の家に駆け込んで、上がり込んで、そのまま「食べて行きなさい」となった。食卓は大きかった。俺の家の倍はあった。出てくる皿の数も多かった。彼の母親は静かな人で、黙々と料理を運んだ。兄弟たちもいた。にぎやかというより、人数分の音がする、という食卓だった。

彼の父親が帰ってきたのは、食べ始めて少ししてからだった。

玄関の音がすると、食卓の空気が変わった。兄弟たちが少し背筋を伸ばした。父親は上着を脱ぎながら食卓に着いて、当たり前のように、彼に言った。

「今日、喫茶の方はどうだったと思う」

彼は箸を置いて、答えた。

数字だった。客の単価がいくらで、席がいくつあって、何回転したから、今日はだいたいこれくらい。すらすらと暗算して、最後の数字まで言った。小学二年か三年の子供だった。

父親は「うん」とだけ言って、別の店のことを聞いた。彼はまた計算した。今度は映画館だった。入場料と、席の数と、上映の回数。少し詰まると、父親は待った。詰まった所を、彼が自分でつなぐまで待った。

俺は箸を持ったまま、固まっていた。

俺の家では、夕飯の時にそんな話は出なかった。今日の給食がどうだった、明日は遠足だ、そういう話だった。客の単価という言葉を、俺はその時初めて聞いた。席の数と回転で、一日の売上が決まるということ。その日の天気が悪ければ下がり、駅前に何かあれば上がるということ。彼はそれを、天気の話をするみたいに話した。

帰り道、雨は上がっていた。

商店街の映画館の前を通った時、俺は看板を見上げた。今日はこれくらい入ったはずだ、と彼が言った数字を思い出した。看板の下を、何人かが出入りしていた。その一人ひとりが、数字になる。そういう目で街を見たのは、初めてだった。

それからも、彼の家にはよく行った。

行くたびに、父親の計算の時間があった。俺はだんだん、聞かれない側の人間の座り方を覚えた。背筋を伸ばして、箸を止めて、彼が答え終わるのを待つ。答え終わると、父親が「よし」と言って、食事が再開する。その「よし」の一言が、彼の背中を少し伸ばしたのを、俺は隣で見ていた。

彼は嫌がっていなかった。

むしろ、誇らしそうだった。難しい計算ほど、目が光った。父親もそれを知っていて、少しずつ難しくしていった。パチンコ屋の台の数。貸しビルの部屋の数と家賃。答えるたび、彼の頭の中では、街の店が全部、数字の列に変わっていくのだろうと思った。

ある日、彼は俺に計算を教えてくれようとした。

学校の帰り、喫茶店の前で立ち止まって、「あの店、今日いくら売ったと思う」と聞いた。俺は分からなかった。席の数を数えさせられた。ガラス越しに数えた。二十四席だった。彼はメニューの値段を覚えていた。一人いくら使うか、この時間帯は何回転するか。順に掛け算して、彼は答えを言った。

「合ってるかどうかは、親父に聞けば分かる」

得意そうだった。俺は「すごいな」と言った。本心だった。

でも、その後に来た気持ちの方が、もっと長く残っている。俺と彼は、同じものを見ているのに、見えている景色が違う。彼は店を見て数字を見る。俺は店を見て、店しか見ていない。その差が、少しだけ寂しかった。置いていかれる、というのとは違う。最初から違う場所に立っていた、という感じだった。

尊敬していた。それは間違いない。

でも、俺は彼の全部には、なれないと思っていた。

子供の頃のその感覚を、後になって何度も思い出すことになる。近づきたいのに、全部にはなれない。その距離の測り方が、俺と彼の何十年を決めていった。

俺は、あの計算が好きだったし、怖くもあった。

好きだったのは、彼の目が光るからだ。怖かったのは、俺には一生、ああいうふうに数字が見えるようにはならないと、子供の俺にも分かったからだ。

父親は、温泉へ行くと、彼に背中を流させたという話も聞いた。その時、父親は決まって本の話をしたそうだ。

「人間はな、書物を通じれば、人の一生を疑似体験できる。だから本を読め」

彼はそう言って、時々、難しい顔をして分厚い本を読んでいた。少年用の冒険小説だけじゃなかった。父親の書斎から持ち出した、商売の本や、偉い人の伝記だった。俺は題名を見ても意味が分からなかった。彼は「面白い」と言った。本当に面白かったのか、父親にそう言われたから面白いことにしていたのか、子供の俺には区別がつかなかった。

今にして思えば、どちらでもよかったのだろう。読む、という行為そのものが、彼を父親に近づけた。計算と同じだった。「よし」の一言に届くための、彼の努力だった。

ある日、父親が俺にも聞いた。

「君の家はどうだ。お父さんは何をしている」

俺はしどろもどろで答えた。父親は頷いて、それ以上聞かなかった。その夜の彼の計算は、いつもより少し長かった気がする。気のせいかもしれない。でも俺は、机の下で、自分の家のことを数字で言えなかった自分を、しばらく覚えていた。

俺の父は、夕飯の時に仕事の話をほとんどしなかった。会社で何があったか、母が聞いても「まあ、いろいろだ」としか言わなかった。数字も出なかった。愚痴も出なかった。その静けさを、俺はずっと「普通」だと思っていた。

彼の家の食卓と、俺の家の食卓。

片方では、子供が大人の商売の真ん中に座らされていた。もう片方では、子供は大人の仕事から、きれいに遠ざけられていた。

どちらが正しい育て方だったのか、六十を過ぎた今でも分からない。ただ、その違いが、彼と俺の人生の「速さ」を決めたのだとは思う。彼は最初から、大人の速度で走らされていた。俺は、子供の速度で歩くことを許されていた。

彼の家と俺の家は、二本の路地しか離れていなかった。

でも、夕飯の食卓の上にあるものが、あれほど違うとは思わなかった。

土曜日には、彼は父親の店を回った。

俺も一度、付いていったことがある。映画館では、父親は切符売り場の帳面をめくって、支配人らしい男と短く話した。彼はその横に立って、大人たちの話を黙って聞いていた。パチンコ屋では、耳が痛くなるほどの音の中で、父親は台の間を歩いて、釘を一本、指で確かめた。喫茶店では、彼はカウンターの中に入って、勝手に水を出してきた。店の人は誰も咎めなかった。

「若旦那」が歩いている。それだけのことだった。

でも俺には、その光景が強く残っている。彼は小学生のうちから、商売の現場の匂いの中で育っていた。音と、匂いと、金の動きと、大人の顔色と。その全部が、彼の日常だった。

俺の土曜日は違った。

父は週末、家で新聞を読んでいた。夕飯の食卓では、テレビのニュースが流れていて、父は時々「そうか」と相槌を打った。平和だった。何も起きなかった。その「何も起きなさ」が、俺の家の普通だった。

彼の家には、平和の代わりに「商売」があった。食卓でも、店でも、数字が流れていた。その流れの中で育った彼と、静けさの中で育った俺。

どちらが幸せだったのか、今でも分からない。

ただ、はっきりしていることがある。あの頃から彼は「大人の世界」の中側にいて、俺は外側からそれを覗いていた、ということだ。その位置関係は、その後何十年も、形を変えながら続いていく。

彼はよく言った。

「うちの親父は、厳しいけど、嘘はつかない」

子供の言うことだった。でも俺は、その言葉をよく覚えている。厳しさは本当だった。その代わり、約束したことは守る人だった。彼が立てるようになった頃から父親に連れられて店を回り、店の人たちに「若旦那」と呼ばれていたことも覚えている。彼は若旦那と呼ばれるのが、恥ずかしいくせに嬉しそうだった。

夏になると、彼は長野へ行った。

母親の実家、祖母の家だった。休みのたびに、彼は電車に乗って長野へ行った。帰ってくるたびに、少し日焼けして、少し背が伸びた気がして、そして必ず、祖母の話をした。

「ばあちゃんがな」

その話をする時の彼は、東中野の食卓の彼とは違った。数字の話をする目ではなかった。

俺がその祖母に会うのは、もう少し後のことになる。

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