小学五年の夏、俺は初めて長野の祖母の家に行った。
彼が誘ったのではない。両方の母親同士が顔見知りで、「今年は友達も連れておいで」と祖母が言ったのだそうだ。俺の母は喜んで、俺に新しい下着と、祖母への手土産を持たせた。
電車を乗り継いで、着いたのは夕方だった。
駅から歩いて、田んぼの間の道を行く。彼の歩き方は、東京の時と違った。少し速くて、時々振り返って「こっち」とだけ言った。祖母の家は、大きな農家だった。庭に柿の木があって、土間があって、井戸があった。東京の彼の家とも、俺の家とも、全然違う匂いがした。線香と、土と、夕飯の煮物の匂いだった。
祖母は、小柄な人だった。
縁側に座って、二人を見て、にこにこと笑った。彼を見る目と、俺を見る目は、違った。当たり前のことだ。俺は初対面の友達で、彼は孫だった。でも、その違いの深さに、子供の俺は少し戸惑った。
「よく来たねえ」
祖母は彼の頭を撫でて、それから何度も、同じことを言った。
「あんたは、特別な子だよ」
最初に聞いた時、俺はただの祖母の口癖だと思った。
でも、その夏の間、祖母はその言葉を何度も言った。朝、起きてきた彼に言った。畑仕事を手伝う彼に言った。夕飯の時、彼がご飯をおかわりするのを見て言った。言うたびに、声の調子が少しずつ本気になっていくようだった。
「あんたは特別な子だよ。あんたは、きっと大きなことをする子だよ」
彼は、その言葉を聞くたびに、照れて笑った。
でも、嫌な顔は一度もしなかった。
滞在は一週間だった。
昼間は川で遊んだ。祖母の家の裏を流れる小さい川で、石を返して魚を探した。彼は東京の子供とは思えないほど、山の歩き方が上手かった。滑る石の上でも平気で、転んだ俺を笑いもせずに引っ張り上げた。畑では祖母の横にしゃがんで、言われる前に次の道具を渡していた。祖母はそのたびに「やっぱり、あんたは特別だ」と言った。
俺にも、祖母は優しかった。
「あんたも、ええ子だねえ」
布団を多めに敷いてくれて、朝は俺の分まで卵を焼いてくれた。優しかった。本当に優しかった。
でも、俺に向けられる優しさと、彼に向けられる言葉は、種類が違った。俺への優しさは客への優しさで、彼への言葉は祈りだった。子供の俺にも、その違いは分かった。分かった上で、傷つくでもなかった。ただ、人の家にはそれぞれ、そういう「中心」があるのだと思った。
この家の中心は、彼だった。
祖母にとって彼は、遠く東京で商売の家に生まれた、たった一人の「夢」だったのではないかと思う。父親の厳しさの話を、祖母はよく聞いていたはずだ。その厳しさの中で育つ孫に、祖母は呪文のように言い続けたのだろう。あんたは特別だ。あんたは大丈夫だ。
夜、布団を並べて寝た。蚊帳の中だった。彼は天井を見ながら言った。
「ばあちゃんは、俺が生まれた時から、ああ言うんだって」
「ふうん」
「親父は言わないけどな。ああいうこと」
沈黙があって、それから彼は寝息を立て始めた。俺はしばらく起きていた。蚊帳の外で、虫の音がしていた。祖母の言葉が頭の中で回っていた。
俺の家では、誰も俺に「特別な子だ」とは言わなかった。言われないのが普通だと思っていた。でも、言われ続けて育つ人間が、隣で寝ている。言われるたびに、少しずつ、その言葉の形に育っていく人間が。
妬ましいとは思わなかった。
思ったのは、もっと変な感覚だった。あの言葉は、彼を守るものでもあり、彼をどこかへ連れていくものでもある。そんな気がした。理由は分からなかった。子供だったから。
帰る日の朝、祖母は玄関先まで見送りに出た。
畑で取れた野菜を、彼のリュックに詰めた。新聞紙に包んだ胡瓜やら茄子やらで、リュックは不格好に膨らんだ。彼は文句も言わずに背負った。
祖母は最後に、彼の両肩に手を置いて、顔を覗き込んだ。
「あんたは特別な子だよ。何があっても、あんたは大丈夫だよ」
彼は「うん」と頷いた。
俺は、そのやり取りを見ていた。何があっても大丈夫。その言葉は、彼にとってお守りだったのだろう。でも、六十年近く経った今の俺には、その言葉のもう一つの顔が見える。何があっても大丈夫だと言われ続けた人間は、「大丈夫じゃない」と言うことが、誰より苦手になる。
その時の俺は、もちろん、そんなことは考えなかった。ただ、祖母の手の小ささと、彼の背負ったリュックの大きさが、印象に残った。
夏の終わり、帰りの電車の中で、彼は言った。
「来年も来いよ」
「うん」
「ばあちゃん、来年はもっと言うぞ。『特別な子』って」
彼は笑った。俺も笑った。
でも、その夏の後、彼は長野へ行く回数が増えた。休みといえば長野だった。東京では、彼は父親の店を回る若旦那で、数字の計算をする息子だった。長野では、ただの孫だった。その二つの顔の往復が、彼の少年時代だったと思う。
そして、中学に入る頃、彼は一人で旅をするようになった。
最初は長野への一人旅だった。それが、だんだん遠くなった。
ある夏休み、彼はクラスで「北海道へ行った」と言って、皆を驚かせた。一人で。ヒッチハイクと夜行列車と、野宿とユースホステルで、一か月近く回ってきたのだという。お金が尽きると、農家の手伝いをして、寝る場所と飯をもらった。大学生だと言って、バイトをしたこともあると、彼は笑って言った。
担任が心配して、母親が学校に呼ばれた。それでも彼は、次の休みにはまた計画を立てていた。
俺は誘われなかった。
誘われても、行かなかったと思う。親が許すはずもなかったし、許されても、俺にあんな旅はできなかった。彼はそれを知っていて、誘わなかったのだろう。
北海道から帰ってきた日のことは、今でもよく覚えている。
夏休みの終わり、彼は俺の家の玄関に現れた。ひと月ぶりの顔は、別人のように日焼けしていた。痩せてもいた。リュックは擦り切れて、靴は泥で汚れていた。彼は玄関先に腰を下ろして、母が出した麦茶を二杯飲んだ。
「どうだった」
「寒かった」
「寒い? 夏だぞ」
「向こうの夜は寒いんだよ。野宿すると分かる」
彼はそれから、農家の納屋で寝た話をした。朝四時から畑仕事を手伝って、飯を食わせてもらった話。フェリーの甲板で、知らない男に「お前、家出か」と聞かれて、「違います、旅行です」と答えた話。どの話も、彼は淡々と話した。自慢するでもなく、ただ「あったこと」として話した。
俺は、その淡々とした話し方が羨ましかった。
俺のその夏といえば、学校のプールと、宿題と、近所の祭りだった。同じ夏休みなのに、彼と俺では、流れた時間の量が違った。彼は大人の世界へ行って、帰ってきた。俺は子供の世界のままだった。
帰ってくるたびに、彼は少し変わった。
背が伸びたとか、日に焼けたとか、そういうことじゃない。話し方の中に、東京の同級生の誰も持っていないものが混ざるようになった。大人と渡り合ってきた人間の、余裕のようなもの。店の手伝いで覚えた言葉遣い。知らない土地で飯にありつくための、図太さ。
クラスの皆は、彼を少し特別な目で見るようになっていた。
祖母の言葉どおりに。
俺だけは、その変化を、隣で見ていた。誇らしかった。誇らしかったが、正直に言えば、置いていかれるような気持ちもあった。彼は休みのたびに遠くへ行って、帰ってくるたびに遠くなる。俺は東中野の路地で、彼の帰りを待つ側の人間になっていった。
それでも、彼は帰ってくると必ず、俺の家に寄った。
土産話を持って、路地の先から「おい」と声をかけて、玄関先に座り込んだ。母親が麦茶を出すと、彼は一気に飲んで、旅の話を始めた。その時だけは、彼は遠くへ行っていなかった。
中学二年の冬、彼は親に内緒でパスポートを取った。
東南アジアへ行くつもりだった。計画は本気だった。費用の計算もしていた。父親の食卓で鍛えた計算で、旅費の見積もりは完璧だった。
出発の前に、母親に見つかった。
大騒ぎになった。彼は何日も家で揉めて、結局、その旅は中止になった。学校でも噂になった。担任は呆れて、クラスの皆は笑った。
彼は俺に言った。
「行けたんだけどな」
悔しそうではあった。でも、どこか誇らしそうでもあった。止められたことより、行ける所まで行ったことの方が、彼の中では大きかったのだと思う。
「親父にはバレてない。お袋だけだ」
「なんでだよ」
「親父にバレたら、計算が合ってるかどうか、そこから始まるからな」
彼は笑った。
俺は、その笑い方が好きだった。この頃の彼は、まだよく笑った。
祖母の言葉と、父親の計算と、一人旅の図太さ。その全部を持った少年が、これからどこへ行くのか。周りの大人は誰も、まだ知らなかった。俺も知らなかった。
ただ、中学三年の秋に起きた小さな出来事が、彼の進む方向を決めてしまったのだと、今では思う。